退職前日

4月から有休を消化中なので実質無職のようなものだったが、明日が正式な退職日となる。自由を満喫した第1週。旅に明け暮れた第2週。そして特に何もしなった第3週。心境にどんな変化があったのか。その原因は何なのか。自分なりにまとめてみた。

ねぇねぇ今どんな気持ち?

4月第1週

2度寝したり昼間に街を歩くだけで嬉しくてニヤニヤしてしまう。花見に行ったりブログにチャレンジしたり、やる気に満ち溢れていた。金曜日の夕方。あるいは長期休暇の初日のような浮足立った気持ち。

4月第2週

前半は旅行の計画・準備。後半はスケジュールきつめの信州旅行で忙しい週だった。どんな気持ちだって?もちろんハッピーさ。平日なので(比較的)どこも空いているし、予約も取りやすいし無職サイコ-だね。

そして4月第3週

ほぼ家に居た週だった。無職のテンプレートのような週。同僚が開いてくれた送別会に参加した。花束とプレゼントを貰って、あぁ終わったな。といった感じ。そしていよいよ明日で名実ともに無職である。今どんな気持ちか?なんだか昨日あたりからソワソワしている。ワサワサかもしれない。「焦り」「寂しさ」「虚無感」といったものが混ざった感じで落ち着かない。お酒が飲みたい気分だが、よい機会なので何故そんな感情になるかを分析してみる。

ネガティブ感情の原因を分析する

人間関係のほとんどを清算するのだから寂しくないわけがない

良い人もいれば悪い人もいた。好き/嫌い/合う/合わない色んな人間がいる。完全ではない人間関係だが、まとめて断ち切ってしまうのだから寂しくないわけがない。電話もできるし、会いに行くこともできる。しかし在職中も仕事以外の付き合いはほとんどなかった自分にとっては、人間関係の清算と言って過言ではないのだ。

退職への思いが強くない

退職理由には、どうしてもコレがやりたい!といったポジティブな理由と、コレだけはやりたくない!といったネガティブな理由があると考えるが、ネガポジを問わず、その思いが強ければ強いほど退職が待ち遠しくなるのだと思う。

僕の場合そのどちらも強くない。やりたくないことは沢山あったが「もぅマヂ無理」という程でもないし、やりたいことも「なんとなく」といったレベルだ。それに加えて、得られる給与、資産状況、人生の残り時間など総合的に判断した結果、退職のデメリットをメリットが僅かに上回ったため、現在に至っている。

イヤな記憶は美化された?

「退職のデメリットをメリットが僅かに上回った」と書いたが、退職を決めた時は「もう辞めるしか道はない」と考えていた。

退職予定日が決まってからは、イヤな仕事は来るものの「どうせあと数か月後には解放される。今苦しければ苦しいほど、解放された時の喜びが増す。ドンドン来い」とイヤだけどウエルカムな妙な気持だった。ビールを美味しく飲むために、我慢して長風呂をしているような感じ。

そして今、当時何がそんなにイヤだったのか明確に言うことができない。イヤだからイヤだったというのが一番近い。記憶が美化されたのもあると思うが、「イヤだったから辞めた」のではなく「辞めたかったからイヤになった」のかもしれないなと思ってしまった。先に「辞めたい」という思いがあり、些細なこともイヤなことと捉えることで、辞める理由を自分で積み上げていったのかもしれない。

まとめ

メリットが大きいと判断して退職を選択したのに、メリットを喜ぶではなくデメリットを悲しんでいる。さらにはイヤでしょうがなかった事は些事だったのではないか?とメリットを過小評価している。要するに損な性格なのだ。選択ではなく性格の問題なのだから、仕事を続けていても同じような気持ちになっただろう。些細なことで心をすり減らし、自由な日々のへの憧れが日増しに強くなっていく。そんな姿が容易に想像できる。

どちらを選択しても悩むんだったら、変化してみた方が良い。両方経験して初めてフェアな条件で比較ができるというものだろう。無職で自由な日々もつまらんなと思ったらまた就職すればいい。理想がどんどん神聖化されて爆発する前に、ガス抜き(現実を知る)ことが必要なのだ。

今日は朝からほぼ一日かけてこの記事を書いている。時間がかかっているのは、気持ちを正確に表現できる言い回しを求めて何度も書き直しているせいもあるが、自分自身の気持ちがまだ整理できていなかったことが大きい。書くにつれて気持ちの整理もつき、気分も落ち着いてきた。退職する人はみんなこんな気持ちになるんだろうか?

15年務めた会社でこんな状態になるなら、定年退職する人の虚無感は相当なものだろう。一気にボケてしまったなんて話もよく耳にするが理解できる気がする。定年が近づいてきたら、家族や別のコミュニティとの関連を濃くして、徐々にシフトするか、ぼっち耐性のある若い内にガス抜きとして一度辞めてみるのもオススメしてみる。

(おまけ)ハード面で感じていること

口が寂しい

禁煙中で何かを咥えていないと落ち着かないというわけではない。声を出すことが少なくなったため、口や喉が「おい!仕事をさせろ!」と言ってくるのだ(文字通り「声にならない声」で)。

元来おしゃべりというわけではない。黙って熟考するタイプだ。仕事中もパソコンに向かっている時はあまりしゃべらないし、昼食も自席でネットを見ながら弁当を食べ、その後昼寝する。それでも質問をしたりされたり、会議も多い環境だったので、それなりに喋っていたのだなと今になって思う。

インプット面ではネットやテレビを見たり聞いたりするのでそれほど変化がないが、アウトプット面ではほぼ手(PC操作)オンリーになってしまったので、そのバランスの変化に身体がまだ慣れていないのだろう。もっとも慣れたら慣れたで社会生活に支障をしたしそうだが…。ブログの記事作成をキーボード入力ではなく、音声入力で行えば軽減されるかもしれない。ヒトカラなんかも検討してみよう。

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