イヴの時間

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「イヴの時間」というアニメを見たのでその感想とか。

まず感じたのはロボットの進化の方向性について。「イヴの時間」のロボットは、初期はいかにもロボットな姿だったが、徐々に進化して人間と区別がつかない外観を獲得するに至ったようだ。高機能なロボットほど、ロボットの要素を排除して人間を装うのが上手くなる、という一見矛盾した進化が面白い。現代ではどうだろう?asimoのような人型ロボットは昔から研究されていたし、上半身や表情だけに特化して人間の動きを追求するロボットもいる。それらのロボットが目指すのは、人間を模倣することによって得られる親しみやすさという機能だろう。

ではその進化の終着点はどこか?人間らしさの最たるもんって何だろう。やはり愛でしょう(キリッ)。人がロボットに対して恋愛とか母性愛とかを抱くようになったら、そのロボットは人間らしさを獲得したと言っていい気がする。「イヴの時間」のロボットはその水準に達しつつあり、それを危惧する倫理委員会が、ロボットに精神依存する危険性について日々広報活動を行っている。

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また世間的にもロボットに依存する人間をドリ系と呼んで、軽蔑する向きがある。今でいうオタクの扱いに近く、現在のサブカルチャーを取り巻く状態を表しているのかもしれない(最近はクールジャパンなんて持ち上げられているが)。主人公のリクオは所有しているロボットのサミィに対して、完全に道具として接することに抵抗を感じているようだ。だがドリ系と思われたくないので人前ではドライな態度を取ってしまうが、後で後悔したりする。なにこの好きな女子に意地悪しちゃう男子的な展開。その意味ではサミィは人間らしさを獲得しているといえる。

「イヴの時間」は喫茶店の名前で、この店には1つのルールがある。それは「当店内では、人間とロボットの区別をしません」というもの。人間そっくりの外観を得たロボットだが、頭上に未来的な輪っかが投影されていて、それで見分けることが出来る。しかしこの店ではその輪っかが投影されておらず、客が人間なのかロボットなのか判別できない。サミィも客のひとりで、家では無表情で口調も事務的なのだが、「イヴの時間」では実に人間らしい仕草で、マスターに悩みを聞いてもらっていたりする。その姿を行動ログから割り出し「イヴの時間」を訪れたリクオが見つけてしまい、「裏切られた」とショックを受けてしまう。

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自分もこの感情は理解できる。人工知能には憧れを持っていて、話し相手として早く実用化しないかなと思っている。人口知能っていい意味で機械的だから、引かれたり面倒くさがられたりせず相談しやすそうだし、オーナーが意図しない(望まない)行動はしないと(特に根拠はないが)思えるからだ。だからこそこのシーンは、物言わぬネコに毎日グチを言っていたら、ネコの集会で「うちのご主人様がw」とネタにされていたような印象を受ける。

人間らしい振る舞いを望むものの、自律的な行動は望まない。そこまで行くと人間で良いじゃないかと思ってしまう。絵が上達して写真のような絵が描けるようになりました。それ写真でいいじゃん的な。この辺は人によって意見が分かれる気がする。そういう面も含めて人間らしさを再現してほしいんだ、という人。リクオも最終的には自分を想ってのことであればと納得する。僕も実際に体験してみないとどう感じるかは分からない。メーカーさんはよ。


ストーリーはWEB上で公開された6本の話を結合したとのことだが、あまり違和感は感じなかった。倫理的でシリアスな話題も多いが、コミカルに描かれているので重すぎず、個人的にはちょうどよいバランスだった。またCGを利用したアングルの切り替わりも新鮮だった。

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